『わたしを離さないで』

小説の醍醐味。読むことの幸せ。

ワンセンテスごと、ここまでいとおしむように読んだ小説は初めてかもしれない。


へールシャムという施設で育ったキャシー、ルース、トミーを中心に話はすすんでゆく。友人と些細なことで張り合い、牽制しあい、和解し合い、共有しあう、一時期の誰もが経験するような時代を静かで緻密に描く。将来の夢をかたり、隠れて自分だけの楽しみを見つけ、内緒話をする。へールシャム時代のエピソードはどこにでもありそうな青春のようにみる。しかし、そこには、「提供」「介護人」といった理解しがたい言葉が挟まれていく。すぐには謎はあかされない。だが、この不明な言葉が、低音を鳴らし続ける。きっと良くないことがおこる、そう予感させるのだ。



3人は、コテージにうつり、ルースとトミーは公認のカップルになっている。恋もし、SEXもする。それでも、彼らには逃れられない運命が迫りくることが分かっているのだ。噂話を検証し、「ポシブル」を探しにいく。そうしたところで、運命から逃げ切ることはできないのだと思い知らされる。



そして、3人はそれぞれに使命を粛々とはたすことになる。
事態が大きく変わるのは、キャシーがトミーの「介護人」をつとめだしてからだ。(第三部)
提供者を選べるキャシーは、ルースを最後まで介護し、その後彼女の告白を受け望み通りトミーの「介護人」になることにした。つまり「挑戦してみる」ことにしたのだ。一縷の望みにかける。誰が彼女の決断を非難できようか。



マダムの家でのエミリ先生とのやりとり。エミリ先生はここで、読者としてのわたしに決定的な言葉を発する。そうなんだろうな、と思ってはいたが、この決定的な言葉を突きつけられると嫌悪感しか感じないのだ。マダム同様に。エミリ先生同様に。へールシャムでのかれらを見てきたのに。
著者はこの言葉をこのときに一度だけ使った。


エミリ先生の家からの帰り道、トミーが癇癪をおこす。子供のころ癇癪持ちでいじめられていたトミーがわれを忘れて怒り狂うのだ。


運命からは逃れられない。


逃れきりたいといっている訳ではない。たった2−3年の猶予がほしいといっているだけなのに。




悲惨な話ではない。
分かっていた。読んでるこちらも最初からわかっていた。
良くないことがおきるということは。



でも、まさか。




そんな気分。


わたしを離さないで

わたしを離さないで